le ciel clair   

毎日は 小さな奇跡の連続です

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すべての人々を礼拝合掌する

Posted by Yuko Furukawa on

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何を見ても聞いても涙が溢れるよな

そんな日、わたしを救ってくれた 谷口雅春さんの言葉。



すべての人々を礼拝合掌する


今日、あなたは神の愛に満たされているのである。

だからすべての人間と事件とを愛の眼光をもって観るのである。

だからあなたは人を決して悪しく見ることもなく、

人を憎むことも、そしることも、疑うことも不安に見ることもないのである。

あなたは、何が善、何が悪の標準をもっては

人々を批判することをしないのである。

ただすべての人々に神が宿っていることを観て

常に合掌礼拝するのである。

凡ゆる人はそれぞれ自由であって完全であるから、

合掌礼拝するとき、その完全さがあらわれる。


                          谷口雅春 「幸福を招く365章」より



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甘露の法雨  ①

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                                              京都 建仁寺 甘露庭の甘茶


過日、今は亡き小母様の家のものを業者さんが

廃棄処分するということで 立ち会っていた時

なんとなく開けた箪笥の引き出しに入っていた

「甘露の法雨」

パラパラめくると哲学的な詩のような

美しく壮大なメッセージが記されている。

これは処分してはいけないでしょー。

近くにいた友人に「これ何だろう?」と聞いたら

「宗教っぽいね」と一言。

確かに、昭和6年・・神示とある。



わたしは禅の世界も、聖書も好きだし 

家には神棚もご先祖様も祀って在る。

物心つく前から 

節目節目にお宮参りに行き

お寺に行き、お墓参りしてきたけど

そのルーツだったり

いにしえから残っている有り難い教えを

ただ純粋に見たり聴いたりして

自分なりに解釈したいのでする。


団体ってなると

それぞれの受取り方や方針の違いで

全く別のカタチになってしまうこともある

けれどそれと

もともとの想いや思想とは また別物だと思うから。



ただただ ボーダレスに

宇宙から目線で見ていたいな。




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汝(なんじ)ら天地一切のものと和解せよ。

天地一切のものと和解が成立するとき

天地一切のものは汝の味方である。

天地一切のものが汝の味方となるとき

天地の万物何物も汝を害することはできぬ。




汝が何者かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に犯されたりするのは

汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。




われ嘗(かつ)て神の祭壇の前に供え物を献(ささ)ぐるとき

先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。

汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。

神に感謝しても父母に感謝しえない者は神の心にかなわぬ。

天地万物と和解せよとは 天地万物に感謝せよとの意味である。

本当の和解は互いに怺え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。




怺(こら)えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。

感謝し合ったとき本当の和解が成立する。

神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。

争いの念波は神の救いの念波を能(よ)う受けぬ。

皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。

汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。

一切の人々に感謝せよ。

天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ。

その感謝の念の中(うち)にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。

われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。

われは此処(ここ)に見よ、彼処(かしこ)に見よと云うが如くにはいないのである。

だからわれは霊媒には憑(かか)らぬ。

神を霊媒に招(よ)んでみて神が来ると思ってはならぬ。

われを招(よ)ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招(よ)べ。

われは愛であるから

汝(なんじ)が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕(あらわ)れる。

                                  
昭和六年九月二十六日夜神示
                                             
                           (谷口雅春 甘露の法雨より)


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これは、小母様からの伝言なのかもしれない♪








※甘露の法雨とは・・・

観音経の中に、観世音菩薩が「甘露の法雨(かんろのほうう)をそそぎ給いて
煩悩の炎を滅除し給う」と書かれてある。
「甘露の法雨」と言っても、物質の雨ではなく、「法雨」即ち「真理の雨」



                                   
甘露の法雨 ②  


甘露の法雨   ②

Posted by Yuko Furukawa on

 
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『心』はすべての造り主

『心』は宇宙に満つる実質

『心』こそ『全能』の神にして遍在したまう


この全能なる神 完全なる神の

『心』動き出でてコトバとなれば

一切の現象展開して万物成る

万物はこれ神の心

万物はこれ神のコトバ

すべてはこれ霊

すべてはこれ心




物質にて成るもの一つもなし

物質はただ心の影

影を見て実在と見るものはこれ迷

汝ら心して迷に捉わるること勿れ


汝ら『実在』は永遠にして滅ぶることなし

『迷』は須臾(しゅゆ)にして忽(たちま)ち破摧す

『実在』は自在にして苦悩なし

『迷』は捉われの相にして苦患多し




『実在』は真理

『迷』は仮相

実在は五官を超越し

第六感さえも超越して

人々の感覚に映ずることなし





(  谷口雅春   聖経 「甘露の法雨」  より )


『人生は毎日が小さな修行』塩沼亮潤大阿闍梨 講演会

Posted by Yuko Furukawa on

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先日、修験道の中でも最も過酷といわれる千日回峰行を満行された
慈眼寺住職 塩沼亮潤大阿闍梨の講演会を聞く機会に恵まれました。

千日回峰行とは、標高差1300メートル超の険しい山道
往復48キロを毎日23時に起床後 滝でからだを清め
約16時間、真言を唱えながら歩き続ける荒行です。
病気でも嵐でも、毎日。これを1000日続けます。
もし途中で止める場合は短刀で切腹または
紐で首をくくり、命を絶たなければならない決まりがあり
文字通り命がけです。

そして千日回峰行を無事終えた後
続けて9日の間断食・断水・不眠・不臥(食べず、飲まず
寝ず、横にならず)の『四無行』に入ります。
とても危険な為 この行に入る前には「浄斎の儀」といって、
生き葬式を行うそうです。

それらを無事満行された塩沼亮潤大阿闍梨ですが
実際お会いしてみると
とても穏やかでユーモアのある優しい方でした。

また
このような偉業を成し遂げられても
「行を終え、行を捨てよ」と、すべて忘れ捨て去り
里におり、皆様のお役に立てるよう歩いているだけ と
とても謙虚な方でいらっしゃいました。


"人々の道しるべ"となる様な方
偉人と呼ばれる様な方は、壮絶な経験を持つ方が多いように
若くして出家されたお坊さんは苦行を通して
内面と向き合い自我をなくし、
それらを会得されているのですね。

また、大阿闍梨の様な強靭な精神を持つ方でも
若い頃人間関係に悩まれ

”自分が構えている間は相手も構えている”と

言葉にしなくても、恐れや弱さから生まれる
不快な気を知らず知らずに発していたことに気付き
心から申し訳ない気持ちになり涙を流した、と
その時の光景や気持ちが、ずしんと伝わってくるようなお話は
わたし自身の出来事と重なり、胸が痛みました。

わたし達は日々の生活の中で
ありとあらゆる執われに心が奪われることがあります。

縁ある方と心と心で繋がれる幸せ
理想とする自分を追い求めながら

その通りに生きられない、葛藤と苦しみを抱え
人とのかかわりの中で自分を知る。

失敗しても
辛くても
弱くても
要領悪くてもいい

澄みきった心で、
ただ謙虚に向き合っていれば
少しずつ磨かれて行く・・ハズ。


辛くなったら別の世界に鞍替えするような
生き方では大事なことに気づかない。


一瞬そのコトから目をそらせても
自分からは逃げることは出来ないから


すべては自分の問題。


言葉で言うのは易しく
感情が、すぐに言うことを聞いてくれるわけではありませんが
少しずつ少しずつ・・


どんなことも自分自身の成長の糧とし
執着を捨て
ただ、あるがままに生きていこう。


心の中の深い世界を
言葉で表現するのは難しい
けれど、ご縁のあるすべての方と
心から笑顔で向き合いたい。


どうか
痛みや弱さを
次には
優しさに変えられますように。。


本やインターネットでは伝わらないことが
直接会うと
言葉ではない何かを
受け取り伝わってくるものがあります。

ならば光のエネルギーでね♪

そんな大切な気付きと
貴重な経験をさせていただき
今はただ感謝の気持ちでいっぱいです。


さ 上を向いて
清く正しく 楽しくいこう! 




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   縁は苦となる 苦は縁となる  講演資料





般若心経 絵本

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「 般若心経 絵本」 諸橋精光著




わたしたちは日々喜びや

苦しみを感じながら生きている

けれども この世に存在していると思っている

もの、ことは すべて

大海の表面の ひとつひとつの

波のような もの。



それらは

生まれては消えを繰り返すが

海そのものが増減することはなく

ただ

大きな海の一部




だから表面的な波だけを見て

苦しんだり

悲しんだりしなくていい



すべては実体のない

幻のようなものなのだから・・。






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【 心無罣礙 】 



わたしたちは日ごろ、自分というオリ

自分の身体、自分の思考というオリ

さらには空間と時間の世界という

オリにがんじがらめに

とらわれていますが、

ハンニャハラミツの大海に

とけこんでいくにつれ、




いくえにも

わたしたちをしばりつけ、

さまたげていたそれらのオリが

だんだんに、はずれていきます。






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【 欲望のおおもとと、さとりは同じ 】


ハンニャハラミツの大海というのは

無明の世界より

さらに大きく

さらに深く



無明の世界を

包み込んでいる。



だからこそ わたしたちが

それぞれの苦しい人生、

つまり

無明の世界を歩み通すことに

意味があり

本当の幸せ 安らぎ 真実を探し求めている。




そして

それは自分自身の中にあるのです。






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般若心経 最後の言葉。




ぎゃーていぎゃーてい


この真言を本書では赤ちゃんの泣き声のようだと表現している。



大海は大きなお母さんなのだと。





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赤ちゃんがお母さんを呼ぶように

「ぎゃーていぎゃーてい・・・」と唱えたとたん


大いなるお母さんが来てくれる。

わたしたちは

この大いなる母の胸に抱かれ

包まれて生きている。







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わたしたちはみな


大いなる母の赤ちゃんなのだ。












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大事なのは

よけいな、はからいを捨て

安心して母なる大海に

信頼して

そのただ中に

すべてをあずけ

すべてをまかせる


ただそれだけなのです。







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「 般若心経 絵本」 諸橋精光著  (小学館)





般若心経の絵本や解説書は数多くありますが

この絵本は、とてもわかりやすく

あたたかい気持ちになる絵本です。







                        photo 桂浜

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