le ciel clair   

毎日は 小さな奇跡の連続です

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Posted by Yuko Furukawa on

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縁起

Posted by Yuko Furukawa on





   

「縁起」という言葉は、現在では「縁起が良い、悪い」というように


何かの前兆の意味で用いられているけれど、

もともとはそのような意味ではなく .

仏教用語で、様々な原因や条件、

他との関係が縁となって生起するもの 。

全ての存在は縁起によって成立しており、

その本質または実体といったものは存在せず

空であると説かれている。

.

日頃私たちは、目で見えているものだけを信じがちで

朝起きた時 自分自身をマイセルフと認識するが

それが本当の自分であるという確証はなく  

ただ、その時の感情や思い癖によって

現れる心象や

生まれてから これまでの経験や心の中の「私」像 

あるいは知識等に制御されながら

変化し続けているものを自分自身と考えるが

その変化そのものこそ自分とも言えるのだ。

.

また、見ようとしていないのに見せられている「夢」

これは阿頼耶識で、心の深層部分の意識が関係していて

何となく想像した事を夢で具現化してしまったり

無意識の自分を意識する瞬間である。

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目の前に花が咲いていて

「綺麗だな」と思うのも

「自分に祈ってくれているのだな」等々

心の中にも言葉はたくさんあり 

静かに 感応することが出来る。

皆 内側の言葉を喋っていないだけで

自然のものは全て無言で話せば伝わる。

.

そうして ひとつひとつ

日々感謝の気持ちで 接していると「感謝の扉」が開く。

そういう気持ちが次の「縁起」を起こしてくれる。

そして「敬う心」

京都のお寺に参拝する時 昔は、町から裸足で参拝されていたとか

これも「敬う心」 

それが出来る様になると「敬いの扉」が開く

そして本来の夢からの教えが届くのだそうです。

「敬いの扉」に辿り着く為の 「感謝の扉」

まずはそこから。

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私たちは日々 「あなたのために」といいながら

本当は私のために。。になっていたりします。

本来「無我」

私心なく無心で。

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そしてなかなか理解出来ずにいた

「清濁併せ呑む」についても

善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受けいれるという意ですが

既に、ここで言う「善悪」を分けているのは自分であり

他の判断ではないということ。

ただ全身全霊「なりきる」ということだと。

やはり最後は「無我」に繋がっていきました。

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このお話は吉舎 西光禅寺 檀上宗謙住職が

「祈りの学校」でお話して下さったものの一部です。

素晴らしいお話とご一緒させていただいた方々の

ご縁にも感謝いたします。「祈りの学校」は松永の蔵にて。

檀上宗謙住職 どうもありがとうございました。




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